日本巨峰会 栄養週期理論② 『家庭菜園の実際』より抜粋

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「栄養週期理論」② 『家庭菜園の実際』より抜粋

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『家庭菜園の実際』より抜粋

『家庭菜園の実際』は、戦後直後の1946年(昭和21年)に、食糧難時代に自給用野菜を栽培する人向けに出版された書籍です。

プロの農業者向けではありませんので、分かりやすい言葉と表現で「栄養週期理論」について解説されています。
加えて、約40種類の農作物について、施肥に関する具体的なタイミングや量、「栄養週期理論」的な管理方法について記されています。

実際に「栄養週期理論」で、農作物を栽培してみたい人にはオススメです。
具体的な施肥の情報については、プロの農業者にとっても、たいへん参考になります。

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1:栽培と技術


今日(1946年の頃)の食糧事情から考えて、国民が飢餓(きが)から免れ、あるいは栄養失調になることを防止するためには、各自が自分で副食物の少なくも一部を生産することを考えなければならない立場におかれていることは、誰でも知っていることである。
しかし、蔬菜(そさい)というものが、ある場所にタネをまいて、これを心から可愛がって育ててやれば、それで目的が達せられると考えることは誤りである。
良い収穫を得るためには、それぞれ技術というものの上から考えて、あらゆる方法を講じてゆかなければならないものである。
その技術というのが、実は多くの人から間違って考えられているものが多い。
それは何か非常にむずしい、特別なゆき方があるように考えて、素人の人は作物を作るということは非常に億劫(おっくう)なものであると思っているようであるが、それも正しい考え方ではないと思う。

技術の性質を考える場合に、私たちは、技術がいったい、どうしてできるものであるかということを、一応考えてみなければなるまい。
従来の学者たちは、技術というものは何かある作物を作り出すのに必要な手段であると考えてきているようである。
しかし、本当はそういうものではないのであって、技術というのは、ある生産を目的にした場合に、私たちがその目的を達するために行うあらゆる手段をまとめ上げた一つの体系なのである。
だから、一つ一つの手段というものは、技術の上からみれば大した意味のないもので、良い手段も間違って体系づけられれば決して目的に達することはできるものではない。
だから、体系のある一つの技術が与えられれば、どんな素人でもその教えるとおりに事を運んでゆけば、上手下手という区別はつくかもしれないが、一定の目的を達することはできるようになるものであるし、しかも一年、二年とこれを繰り返してゆけば、かなり高い技術の所有者になることができる。

これから著者は、この技術というものを、すぐその日から、その場で、生産の具体的な方法として実行することができ、しかも実行した上は必ず成績があがるような、具体的な話の仕方をしてゆこうと思う。

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2:作物と肥料


作物というものは生きたものであって、その生涯は、たとえばタネから生えてだんだんと育っていって、やがて葉を伸ばし、枝を広げ、さらに進んで花を付け、実を結び、そうして子孫を残して枯れてゆくということになるので、これは人間の一生にくらべてみても、大した相違のあるものではない。
この作物を、今までは、単に一つの装置の中で、原料を用いて化学的合成をするもののような、機械的な見立て方をしてきたのであるが、それは非常な誤りである。
生きているから、日が経(た)つにつれてだんだん下等なものから高等なものへと進んでゆくものなので、発育ということは生物の進化ということになるのである。
進歩であるから、いつでも同じ状態にとどまるものでなくて、時間が経つにつれて次々と新しい状態に進んでゆく。
したがって、その作物の生きてゆく生き方にいろいろと相違を生じてきて、いつも同じような養分を求めたり、あるいは気候やその他の外部からの条件を一様に要求しているものではない。
つまり、ごく最初の芽生えの時に必要であった養分の割合や温度などが、すこし経ってそれが大きくなってきた時には、必ず前の時と同じものがいちばん適当なものだとは言えなくなってくる。
いわんや、ごく最初の時と、ずっと育って花が咲き、実がみのるようになった時とは、たいへんな相違を持ってくるのである。

これをごくわかりやすく言ってみると、作物は、まず子供の時代と大人の時代という、二つの大きな時代に分けてみることができる。
子供の時代というのは、自分の体を作り上げる間の時代で、外部からとった養分を同化し、それで自分の体をどんどん作り上げてゆくのである。
この子供の時代のことを「栄養生長期」と呼ぶ。

さて、体が一人前にできあがると成長というものは自然に衰えてきて、ついに止まってしまうようになる。
成長が止まると、今度は子供を作るという別の仕事を始めるようになる。
だから、成熟した生物の仕事は生殖にあるということができるから、この時代の成長のことを「生殖生長期」と呼ぶ。

ところが、この栄養生長から生殖生長へ移ってゆくのは、急に一度に行われるのではなくて、少しずつ両者が入れ違ってゆくということで進行してゆくのである。
たとえば、昨日まで子供であったものが、今日こつ然と大人になるというものではない。
子供がだんだん大きくなっていってやがてある度合いにまで育つと、その子供の体の中に大人になる芽生えができ始めてくる。
つまり、生殖能力というものが子供の体の中にきざし始めるのである。
この子供の体の中に大人の芽生えができ始めることは、少しむずかしいかもしれないが、栄養体の中に生殖体ができ始めるということなのである。
こうなると、もはや単純な子供ではなくて、子供でもあり大人でもあるような、中間の過渡的な状態が生まれ出てくる。
人間でいうならば、14、15歳~20歳くらいまでは、このような時代を経過しつつあるのである。これを「交代期」と呼ぶことにする。

なぜこのようなことを言うかというと、このことさえわかれば、農家も、今までのように毎年毎年一年生で暮らしてきたというような、あの進歩を否定するような考え方がなくなって、年々技術が進歩するし、また素人も昨日まで鍬(くわ)をとったことがないものでも、この点に充分理解がもてるならば、明日から一人前の農家以上の作物を作ってみることができるようになる根本の基礎になるからである。

さて、作物は、これまで述べたようにだんだん育っていって、子供から大人へ移るが、いったい子供の体が育つのに都合のよい栄養上の条件は、大人の体の成長にはだいたい不都合な条件になるのであり、反対に大人の体の発育に都合のよい事情は、子供の体の成長にはあまり有利でない条件になるのである。

諸君が庭にトマトを植えたと仮定してみる。
このトマトをたくさん収穫しようと思って、しきりに肥料を施す。
トマトは猛烈な勢いで成長を始めてくるだろう。
そうして明日は実るか、明後日は実るかと待っていると、いつまで経っても花が現れてこない。
また現れてきても、非常に貧弱な小さな蕾(つぼみ)ができて、しかもそれが発達しないうちにボロボロとひとりでに落ちてしまうというような、惨めなことが起こることは、多くの素人園芸家が体験したことであるに相違ない。

こういう場合には、このトマトのつるの育ちを抑えるような方法を講ずれば、たちまち立派な実が留まるようになる。
たとえてみれば、このトマトの根を少しいじめつけてやったり、水気を与えることをやめて乾燥させてみたり、あるいは小刀をもって茎の下のほうの皮だけ少しそいだような、いわゆる環状剥皮(かんじょうはくひ)ということをやれば、木の元気は次第に衰えてくるが、木の元気の衰えに従ってだんだん立派な花が付くようになって、やがて素晴しい実りが見られるようになる。

このことは、どんなものについてもみんな一様に言えることであって、アサガオなどを作った方はよくわかることと思うが、あまりつるが元気よく伸び、大きな薄い葉がどしどしとできるように水や肥料をたくさん与えると、貧弱な小さな花しか咲かなくなってくる。
どんな作物もみんなこういう関係にあるので、体があまりに良くできすぎると実りということが悪くなり、あまりたくさん実れば体の育ちが抑えられてくる。
このように、体すなわち栄養器官と、花や芽のような生殖器官とは互いにその利害を異にし、対立状態にあるものなのである。

だから、外部から与える養分などについてみても、同じように体が良く育つような目的を達する養分は、とかく花や実を貧弱なものにしたり、あるいはそれを退化させてしまったりする。また、花や実のよく付くような養分を若い時から与えると、体が充分育たないうちに花ができたり、実が留ったりするようになる。

アメリカのクロース、クレイビルという学者は、この間の事情について、体の中の同化作用でできるでんぷんや砂糖のようなものがたくさんあって、根から吸い上げるチッソの分量が充分にないときは、その作用はあまり枝葉が茂らずに花がたくさん付くようになるが、反対に、同化作用でできるでんぷんや砂糖の分量よりもたくさんのチッソが入ったりすると、枝葉のみ伸びて実が充分に付かないという研究を発表しているが、このことは炭水化物、つまり、でんぷんや砂糖という養分が多いと花や実のできることに都合がよくなるが、反対に、チッソ成分が多いと枝葉の出来が良くなって、その反対に実や花の出来が悪くなるのである。

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肥料として与える養分の中で、作物にとって、どうしても必要なものはチッソとリン酸とカリと石灰とであるが、これらの養分のどれがいちばん多く必要であるかということは、育つ時期で違ってくるのである。
今までは、この育ってくる時期で養分の必要な割合が違ってくるということを理解しなかったし、また、どうしてそれがそう違ってくるかもよく知らなかったので、肥料をやるということは、ただ一代の間にその作物が地面から奪い取るそれらの養分を土地へ返してやることが、肥料をやることの原則的知識だと思い込んできてしまった。
だから、必要な成分を必要な分量だけ施しておきさえすれば、あとは手入れと天候の如何で、できたりできなかったりするというような考え方になってきた。

ところが、だんだん研究してみるとそうではなくて、この肥料のいろいろな成分をいろいろな割合に、あるいは一つの成分だけをその育つ時々に従って施し方に加減をすれば、天候や土地から受けるいろいろの制約を乗り越えて、私たちの希望するような出来栄えにすることが可能であるということがわかってきたのである。

チッソ(N)

さて、チッソという成分は、下肥(しもごえ)や家畜の糞尿(ふんにょう)の中にたくさん含まれているものであり、その他、豆かす、油かすなどはこの成分をたくさん含んでおるし、化学肥料では、硫酸アンモニア、石灰チッソなどはこの成分ばかりを含んでいる肥料だと言える。
だから、これらの肥料は、それだけをたくさん与えると、その成分が充分にあった時に育つ体が元気よくなってきて、そのために花や実の出来が思わしくなくなってくる。
それでは、これらのチッソをたくさん含む肥料あるいはチッソばかりの肥料を、どんなふうに施せば良い育ち方をさせることができるのか。
それは、次のようにすればよろしいのである。

つまり、子供の時代、体が育つ時代には、この成分を充分に施してやらなければならないのはもちろんであるが、その効き目が交代期の時期にまでたくさん効き目を現して、大人になってもその効き目が切れないほど与えると、満足な交代が起こらないで、いつまでも子供っぽい、未熟な大人ができあがってきて、そこで収穫は思うようにならなくなる。
だから、このチッソ質の肥料は、なるべく早く充分与えて、最後まで効き目の続かないようにその分量を加減しなければならない。
これが肥料をやるコツであるといってよろしい。

リン酸(P)

次はリン酸であるが、リン酸は、もちろん小さい時にも必要であるけれども、その必要さは、そんなに大きなものではない。
だいたい土の中に自然にある分量や、あるいは元肥(もとごえ)に使うごみや堆肥の中にも相当量あるから、今のようにリン酸の手に入りにくい時代では、もしこれが使える人は、交代期になってこの成分のたいへんに必要な時期に、それを使うように心がければよろしい。
このリン酸というものは、生殖器官を作り出したり育てたりするのにたいへんに大切な成分であって、これが不足すると、枝葉の成長ばかり強くなる傾きがなかなかなおらないものである。

みなさん方に一つ面白い、手品のようなことをお教えしよう。
もしこれを試みてみるならば、本職の農家の方でも多分あなたの現す成績について、びっくりするであろうと思う。
トウモロコシがだんだん育ってきて、やがてその葉が7枚か8枚くらいになった時に、過リン酸石灰という、水によく溶けるリン酸をたくさん含んだ肥料を水で薄く溶いて(たとえば18ℓの90mℓくらい)施すと、そのトウモロコシだけは他のトウモロコシと違って、1本の茎から穂が3本も5本も、ときには10本も付くようになる。
まるでトウモロコシのお化けみたいなものであるが、普通には、トウモロコシというものは、1本の茎から1~2、まれに2つくだけのもので、このことは、どんな農家に聞いてもみんなそのとおりだと言うだろう。
これは、リン酸というものが花を付けるのに大きな効き目を現した一つの例であって、今までのように植える時やまく時にリン酸を全部やってしまうと、そのリン酸が土の中で植物に吸われにくい、水に溶けないものになるので、花のできる時期にリン酸を欲しくとも充分に吸いえないようなありさまにしてしまうからである。
ところが、欲しい時にこれを与えると、その作物はそれを立派に自分の体に特別にその時期に育つべき部分に使うことができるから、このように面白い結果が生まれてくるのである。
どうです、みなさん、こういうびっくりするようなことをして、あなた方の知っている農家の方を驚かしてやろうではないですか。

カリ(K)

次にはカリである。
カリは、体の中にできるでんぷんや砂糖を体のあちらこちらへ移動させるのに大切な役目をするし、また、でんぷんや砂糖を作ることにも大きな働きをする成分である。
このカリ成分をたくさん含んでいる肥料を、いったい、いつやったらいいかということになるが、初めから必要な成分であるから、もちろん植えたりまいたりする時期にも多少やらなければならないのは言うまでもない。
けれども、これをほんとうに活かして使うということになると、それは結局、先ほどからいう交代期という時期に入って使えば、その効能は一層大きなものとなり、植えたりまいたりする時に使う、およそ5~6倍の効力を発揮するようになる。
ジャガイモで一つ試してみるとよろしい。
灰という肥料は、このカリをたくさん含んでいて、しかもチッソというものを少しも含んでいない。
この肥料を、ジャガイモを植える時にくれてしまったのと、同じ分量をジャガイモの花を持ち始める頃に水に溶かしてくれてみたのとくらべてみれば、どちらにたくさんイモが付き、どちらのイモが大きいか、たちどころにわかってくるのである。
そうして、花が見える頃になって灰を施したものは、それはおそるべきたくさんの収量をあげるようになるばかりでなく、そうしてとれたイモは、味がずっと良く、なかなか腐りにくいようになってくるのである。

カリという成分は、チッソという成分と一緒に施すとチッソの効き目を強くして、枝葉をむやみに元気よくする傾きがあるが、これをチッソの効き目が切れ始めた頃に施すと、むしろ成長を抑えて、体の中にでんぷんや砂糖のたまるような作用を発揮してくるのである。
だから、灰や硫酸カリをむだにしないで立派に役立たせるためには、決してこれを元肥に使ってはならない。

石 灰(Ca)

次は石灰である。この石灰という成分は作物の体を固くして、作物の体の中のホルモンをたいへんに増やす力があるので、いよいよ作物が最後の段階に達した場合に、仕上げの成分として大切なものである。
石灰を作物に施してすぐ効き目を出させるためには、消石灰という形で施さなければならない。
消石灰というのは、左官屋さんが使う壁に塗るあの白い粉末と同じものであって、肥料用のものは混じり物が少し多いというだけにすぎない。

この石灰成分を作物の交代期に使うと、すっかり体が成熟してきて、立派な大人になりきる。
それであるから、その出来上がりはきれいで、無病で、硬く、風や雨などにやたらに傷めつけられない丈夫なものになり、そこからできた実やタネはよく充実していて、その品質もすこぶる上等なものになる。

みなさんはこの石灰の効き目を、次のようなことで試してみればよい。
ジャガイモやサツマイモのような作物がもうひと通り成長して、やがてイモができようとする頃、たとえば、ジャガイモでは、先ほどもカリのところで言ったように、花がチラホラ見え始める頃に、サツマイモでは八月の末頃から9月の始まり頃に、この石灰を根回りに充分振りかけてやるか、あるいは水に薄く溶かして施してやる。
粉のまま振りまいたものは1日2日のうちに雨がないと効き目がだんだんなくなるから、雨を待ってやるのがよい。
さて、この石灰をやった結果はどうなるだろう。
それは、みんながびっくりするようになる。
これをはっきり知るために、石灰をやったのとやらないのと半分ずつ作ってくらべてみれば、誰でも、なるほどとうなずくことのできる相違が目の前に現れてくるのである。

どんな相違ができるであろうか。
石灰を与えたもののほうはイモが大きくて、重くて、包丁で切ってみようとすると手ごたえが強くてなかなか切れない。
そのくせ煮ると、いちばん早くきれいに煮あがる。
食べてみると、たいへんに甘味が強くて、沖縄百号というあのまずいイモの種類でも、石灰をこの時期にやってみると、護国という種類くらいの味を食べることができる。
そうして、このサツマイモは、そんなに丁寧なやかましい方法で貯蔵しなくともちっとも腐らず、春までおいしく食べられるのであって、ただあまり濡らしたり、零度の気温にあわせたりしないようにしておけば、それで済むのである。

ジャガイモでも同じことである。
この時期に石灰を与えたジャガイモは、翌年の種(たね)イモとしてそのまま使うことができるようになるから、毎年種イモを買い入れなくとも済むようになる。
つまり、翌年の春先まで置いておいても、大して芽は出ないし、しわも寄らないから、種イモとして少しも差し支えないものになるのである。

石灰はこのような作用があるので、これをいま一つ、たとえばスイカのようなものに使ってみたらどうなるだろう。
スイカの実が子供の使う手まりくらいの大きさになった頃に、イモにやったときと同じように、広く根回りに施すと、その施したものの実はとても甘くて、場合によっては甘すぎるようにさえなってくるのである。
ところが、石灰を与えなかったもののほうは、それとはまるきり違った甘味の少ないものができ、サツマイモなどはすぐにちょっとした湿りや低い温度で腐ってしまうようになるし、ジャガイモのごときは翌年の種イモなどに使うことができなくなる。

以上述べたように、肥料の成分はそれぞれその使う時期があって、みんな一緒にして一度に元肥にくれてしまうという、あの原始的なやり方をしないで、必ず今まで述べてきたような心がけで使わなければならない。
このことさえ上手にやれば、これから一つ一つの作物について述べるいろいろな特別な手当の仕方とともに、みなさんは、その日から精農家を打ち負かすような、みごとな収穫をあげることができ、狭い土地からたくさんのみごとな収量をあげることができるようになる。

ただ、ここで一言付け加えておきたいことは、今日肥料が非常に窮屈になって、しかも配給制度であるから、都会のみなさん方の手に当分は入りにくいであろう。
しかしやがて、それらのものがみなさんの手にも入るようになる時がくるであろうから、その時は大いにそれらの使い方をうまくやって、みごとな成績をあげてもらいたい。

今日それらの肥料が充分に手に入りにくいという場合でも、著者が今まで述べてきたようなゆき方をすれば、不充分ながらその成績をあげることが不可能ではない。
たとえば、タネをまいてから少しずつ薄い下肥などを与えて育ててゆき、これが交代期に効き目がそろそろ切れてくるように、あまり無茶に分量をたくさんやらないようにして、それから灰をできるだけ大切に集めて保存して、そのチッソの効き目の少し切れだした時にこれを施し、それからしばらく経って石灰を施せば、それである程度目的を達することができる。

石灰をやると土地の中の有機物がだんだん分解されて減るから、石灰をやったばかりで堆肥(たいひ)やごみや腐葉土などをやることを怠ると、土地がやせるから、どうしてもみなさんは何かを腐らせて、この有機物を補給しなければならない。

<後略>

※続きは本書をお読みください。

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